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映画「武蔵」を観て・・・武蔵は小次郎を殺さなかった! [映画]


【日本文化チャンネル桜】の中の番組で、映画評論家の前田さんが紹介した映画が面白そうなので、久しぶりに、多分2ヶ月ぶりでしょうか、映画「武蔵」を観ました。監督は三上康雄氏です。


武蔵といえば、マンガ「バカボン」でも主人公になっている。確か二十歳前後に熊本にある宮本武蔵の墓だといわれのある場所に行ったことがあるが、その事も今こうして書いている最中に思い浮かんで来たくらいで記憶が薄くなり、その場の映像が浮かばないのが残念! 墓そのものは4百年前の時代の武人にふさわしく質素な佇まいだったと思う。自分を召しかかえてくれた恩義のある細川家の殿様が参勤交代で必ず通る場所近くに墓を建て、死後もお側で見守るという道を選んだと伝えられている。死してなお忠義を尽くすという生き方だと思う。



前述の前田さんのお勧めの作品という事もあるが、その直前に荒谷卓氏の剣使いをネット動画で見たことが大きな後押しとなった。この方はつい先月の5月に友人の紹介で知った人物だが、なんと日本での特殊作戦初代群長(自衛隊)であり、その後明治神宮の武道場、「至誠館」館長を務めた方です。兎に角、動画での剣道や恐らくは真剣と思われる剣のさばき、技を見て、魂が浄化されるような気持ちを味わった。女性の私がこれ程剣や、時には銃に惹きつけられるのは、きっと前世でそれらを扱っていたからだと思っている。精神世界に詳しい人はきっと頷いてくれるでしょう。(実を言うと2人の霊能者に前世の一つは武士だったと言われています)



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ともあれ、折も折、剣術家武蔵の映画予告を見た後、放映初日(5月25日)に映画館に出かけた。ネットで予約していたシートに座り、辺りを見回すとかなり高齢の女性、男性が席を占めていた。それに初日なのにか、初日には関係ないのか、観客はまばらな感じである。土曜日というのに若い人はいないのでは?と不思議なくらいである。前田さんの話からもかなりの注目作品だと思っていたから、これには軽い衝撃を受けた。映画を観終えて、個人的には剣術シーンもかなり良くできた見応えのある映画と思ったし、監督の面白い解釈が印象に残った。耳の遠い私など、セリフの一部が上手く聞き取れず、しばらく日を置いてもう一度観てみようと思ったら、上映はすぐに無くなっていてこれは残念だった。チャラい時代劇とは違い、映画はオールロケで取られ、何よりあの有名な「一乗寺下り松の決闘」の1対数十名の斬り合いの連続シーンはこの映画の2つのハイライトの一つです。もう一つは言わずとしれた「巌流島の決闘」です。



さて、主人公の武蔵は幼い頃から父親の無二斎から徹底的にしごかれる。昨今の親の我が子に対するいじめ、虐待事件がすぐに頭によぎるほど無二斎の鍛え方は過酷なもので、「ああ〜! 今の時代であれば、きっとこの子は潰される!!!耐えられる限界をとうに超えている!何というシゴキだ!」と母性本能が働いて武蔵の心情を想像し、グッと肩入れをしてしまった。



剣術家だったと言われる無二斎は子供の武蔵に対して親としての愛情があったのか否か、それは心の奥底に押し込め、この世を生き抜く手段として情を殺し、只ひたすらに子供を鍛え上げよう、ひとかどの者にしようとしごいたのか、観る側の感情移入で如何様にも取れる箇所だ。戦国時代の終末から徳川の時代に大きく動いていくうねりの中で武蔵は煩悶しながらも修行を続けていったのだろう。映画の中の武蔵は特に前半に、「勝ちたい!」「勝負をしたい!」と繰り返し叫んでいた。間違っていようとなかろうと力ありと思えるものに挑んでいく武蔵の姿は、平成や令和の平和ボケの時代感と違いくっきりとぶれない軸を見せてくれる。



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見所の「一乗寺下り松の決闘」場面では、前田氏も賞賛されていたが、非常に見応えがあった。三上監督もあえてスポーツシーンを撮るようにカメラを配置し(確か3台)、カット切りをせず、決闘の最初から最後までを通しで撮っているため、文字通り噓っぽくないし臨場感がある。全部で何分ぐらいの長さだろうか、武蔵役の細田善彦がよく奮闘していた。これは乱闘ではなく真剣勝負なので、例えばサッカーの中村俊輔のフリーキックの名シーンを繰り返し繰り返し観ても飽きないカタルシスが得られる。
史実では、(本当に事実かどうか?)、武蔵は一乗寺下り松の決闘で12才の総大将の吉岡源次郎を先に切り殺している。ところがこの映画では、意図的ではなく、揉み合いの中で事故的に、まだ幼く設定されている源次郎を殺めてしまった。闘いの中で、もう勝負の決着をつけた武蔵が、もうこれで終わりだといくら叫んでも敵側は承知しない。これは悲劇である。


最後の「巌流島の決闘」場面でも、三上監督の演出は史実とは違っていた。

巌流島で武蔵は佐々木小次郎を倒さなかった!

佐々木小次郎は決闘後生きていた!

こう言うと人は信じないだろう!

一乗寺下り松で総大将の吉岡源次郎を意図しては殺さなかった武蔵としたら、むしろこの結末は自然であったと思える。小次郎を殺害したのは、武蔵ではなく、小次郎を召しかかえていた藩の人間だったのである。その事を知るにはこの「武蔵」を観てもらうしかない。


一途に我が道を貫くものは、周りの人をどこかで傷つけるものだが、その生き方に卑しいものがない限り、人はやはりその人の純粋さに自分の魂を揺さぶれるものだと思う。



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