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ノンフィクション作家 関岡英之氏の訃報に接して ( その1 ) [日記・雑感]

1月16日の夜、毎日の習慣でその時もYoutube を見ていたら、馴染みのある【 日本文化チャンネル桜】の中の番組、「Front Japan 桜 」の見出しーー『追悼、関岡英之氏』の字に釘付けになった。

「 えーっ! まさか! なんという事か!」
信じられない、信じたくない知らせだった。水島社長が沈痛な面持ちで、私の尊敬する論客の1人・関岡英之氏がなんと昨年中に亡くなっておられたと伝えている。驚きの後は、胸が詰まり、涙が次から次へと溢れてくる。一度も直にお会いしたことも、講演の場でお話を聞いたこともなく、ただネット動画で澱みなく理論整然と見解を述べられる氏の姿、国家の問題を取り上げ我々に警鐘を鳴らされる姿勢に新鮮な驚きや深い共感を覚えていただけなのに、何故こんなに悲しみと喪失感を味わうのだろうか?


思えば、ネット動画で氏の存在と考えを知り、その頃でもなかなか手に入らなかった氏の著作「なんじ自身のために泣け」をようやく市内の図書館で借り読んだことが今でも印象に残っている。アマゾンでレヴューを書いた日付を見ると、2014年2月11日と記されている。この本はその後の氏のキャリアの出発点と言える。関岡氏のそもそもの感性、観察眼、思想の発展を知る上で、外せない存在の本だと思う。


そう言えば、一方的にこちら側は好意を持っているだけで日常会ったこともない全くの他人の存在であるのに、その人の死の知らせに接してこんなに悲しみと無念さ、喪失感を味わうのは、今回で2回目だと気がついた。一度目は、若い人はもう知らない存在だろうが、格闘家のアンディ・フグが急性白血病で亡くなった時である。頑健な肉体を持つまだまだ若いスイス人の彼が、その病気のせいとは言え、あっけなく急死したとメディアが伝えた時、特に格闘技に興味のないおばさんが衝撃を受け、状況を伝えるニュースを聴きながらハラハラと涙が勝手に流れてくるのに、本人の私が内心驚いていた。

このお二人に共通するものはなんだろう?と思った。生のご本人を知らないで勝手な受け取り方かもしれないが、自分の大事なもの、仕事に対する使命感にも似た誠実さを心の奥底で深く感じ取ったからではないだろうか?アンディはまだ若く、関岡氏も58才というこれからの大いなる活躍が期待されていただけに、それを中途で絶たれた、こちら側からすればもぎ取られたような無念さ、悲しみを禁じ得ない。


アマゾンでサイトで見ると、氏の著作はかなり多く、実は、私は氏の本自体は前述の「なんじ自身のために泣け」以外は読んでいない。ただ、いつかこれは絶対に読もうと、「帝国陸軍ー見果てぬ『防共回廊』」は大事に購入していた。下世話な話だが、この2冊はアマゾンサイトでもかなりの高額で売りに出されている。「なんじ自身のために泣け」は思い出に残る本なのでなんとか出版社の努力で新書として発行してもらえないかと願っている。こういう声は、どこかのネットで見かけている。



このブログのタイトルに 、( その1 )と付けていますが、関岡氏の事はまた述べて見たいと思います。



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