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ノンフィクション作家・関岡英之氏の訃報に接して (その3) [本のレヴュー]


(その2)に続く。

1月17日付の動画で水間氏は語る。


一昨日(17日を起点)、水間氏が評論家の西尾幹二氏に会われた時のこと。
(関岡氏の悲報を聞き)西尾氏曰く、「彼(関岡氏)は信頼できる人だったんだ。」とショックを隠せない様子だったという。現在80歳を超えておられる西尾氏は、3年前にガンの手術ををされ、最新の書き下ろしの本は、1年は体調を取り戻すのに時間がかかり、2年という長さを要したらしい。

高齢で病後の辛い時期を乗り越えながらそれでも新刊書に取り組まれるとは、その精神力、仕事への情熱には頭が下がります。


4年前、関岡氏は何を思われてか、評論活動を引退するようなことを西尾先生に言われたらしい。
「『これからだよ、君、引退しちゃ駄目だよ。』と止めていたのになあ。」と、今回水間氏に漏らされたらしい。

このエピソードはかなり衝撃的でした。私のよく視聴する『日本文化チャンネル桜』には、最近調べた限り平成30年の前半は出演されていた。それよりずっと早い時期から出版物を含めた評論活動からの引き上げを考えておられたならば、氏の出られる番組を楽しみにしていた私としては複雑な気持ちと今はわからないその真意を知りたいという欲求に駆られてしまう。


以下の文は、2014年2月11日紀元節に、私が「なんじ自身のために泣け」を読んで投稿したアマゾンサイトでのレヴューです。あれから丁度6年経ったのが信じられません。


タイトルは【 アジアと中近東への旅から見えてきたグローバリズムの行く末 】

形式: 単行本

中国語や中国事情に取り組むきっかけは、就活への打算からだという関岡氏は、なんと早くも高2の春休みに高校生訪中団の一員として初めて中国を訪れました。中国語を武器に大手銀行に勤務する社会人となっても、ある日ツアー広告を見て、同じアジアのカンボジアへ旅立って行く所は、氏の放浪への抑えがたい衝動が感じられます。


それ以後約20年間に訪れたアジアや中東の国々への旅の間、ただ行き交っただけの人達、その時々に五感で遭遇した風景や些細な出来事からも何かを感得していく氏の人間性や観察眼には感心させられます。


国家としても社会体制も発展途上の国々で、政治や経済の不安定要素をくぐり抜けて、民族として、集団として、また単なる個人として、国境を越えて行きかい、地域で暗躍し、あくまで貪欲に生きていく人々の熱気には、著者ならずとも眩暈すら覚えます。日本人の私から見れば、あくの強いバイタリティと言えば言い過ぎでしょうか?


初めての中国で見学した「人民公社」なるものは、高校生の関岡氏から見て、日本の「村」としか言えない代物で、今になっても、「あれは一体どんな幻だったのだろうか」と書かれていますが、中国の社会主義体制に翻弄される人民の哀れさや空虚感を強く感じました。
中国との深い関わりは氏が自ら求めたもので、10年後に銀行の駐在員として赴任し3年間を過ごす間、市場経済原理主義、グローバル経済で更に荒廃していく中国を目の当たりにして、深刻な危機感を持ち始めていくところに臨場感が感じられ、その後の関岡氏の思想の源かと思われました。
関岡氏曰く、自身の功利的な理性とは裏腹に、非合理的なもの、不可知的なものに耽溺していく傾向が潜み、その打開策として、インドに向かうさまは共感を覚えました。そのインドを含めパキスタンやバングラデシュは元は一つの国だったのが、イギリス人の宗教を利用した狡猾な植民地政策により、結果として三つに分離してしまったことは本書で知ったことの一つに過ぎません。


後半において、氏は、欧米的合理主義の価値観と相反するイスラーム世界の存在と価値観に注目しています。それはアメリカの価値観に貫かれたグローバルリズムに飲み込まれた、或いは、飲み込まれようとする日本や他の国々に対する深刻な危機感と繋がっているようです。多分最初から氏の無意識下に芽生えていたこの広い世界への数々の問いかけは、放浪の旅を通して外界から内なる自己の精神、自国の先祖代々の歴史に立ち戻ることへ必然的に向かわせたと思います。アメリカ流の合理的経済至上主義で捨てたもの、見失ったものに気づかなかった自身をさめざめと泣くほど私達日本人はこの世界を見通しているだろうか。


「なんじ自身のために泣け」は、その後の関岡氏の原点を知るためにも必読書で名著だと思います。



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ノンフィクション作家・関岡英之氏の訃報に接して (その2 ) [日記・雑感]



1月22日夜。

Youtube の検索で、水間政憲氏のフリー動画サイトが目に留まった。そのタイトルには、関岡英之氏の名があった。

* フリー動画【水間条項国益最前線3000】 第162回のタイトルは、【追悼 「盟友: 関岡英之氏」
「 女性宮家最終戦への告知」】で、1月17日にアップされていた。

水間氏の事は例の「日本文化チャンネル桜」の番組でかなり前から知っていた方です。

水間氏はこのご自分のサイトで、関岡氏が昨年5月に亡くなっておられたということにショックと無念の思い、そこから抱いたいわば鎮魂を込めたリベンジを決意されている。

最初に思ったのは、先述の「日本文化チャンネル桜」の水島社長と同様、関岡氏のことを盟友と思っていた水間氏も関岡氏の死を最近まで知らなかったという事実である。桜の番組の1つ、【Front Japan桜】の追悼番組に出ておられた関岡氏の実父(お名前を失念)を含めたご家族の意向によるものなのか、関岡氏が日頃託されていた意思によるものか、私のような一視聴者には計りかねる。しつこいようだが、何故そこまで公にしなかったのか、突然の死としか第三者には思えないからこそ判然としないものがあった。

水間氏の話を聴くと、少なくとも関岡氏との交流は10年前から続いていたと思われる。


【Front Japan桜】に父君と同席されていたウィグル人女性のムカイダイスさんは、聞き間違いでなければ、関岡氏の本と関岡氏の存在を知ったのは、昨年3月に彼女が入院中に同胞のウィグル人から「帝国陸軍ー見果てぬ『防共回廊』」を伝えられた時だという。そこから関岡氏との交流が始まり、この本のウィグル語への翻訳も快諾され、これから色んな交流が深まるかに思えた5月に亡くなられたのだから、なんという束の間の出来事であったろうか! ウィグル語に見事に翻訳された本の紹介文では、関岡氏の写真も掲載されていたのがせめてもの供養になると思う。

余談ですが、私は4月28日(日)の午後、大阪市の中心地でムカイダイスさんとウクライナ人男性のナザレンコ・アンドリー氏の講演を聴く機会がありました。時系列を考えると、あの時のムカイダイスさんは退院後であり、まさに関岡氏とのコンタクトも取れて翻訳に取り掛かっておられていた頃かと想像できます。


彼女は切々とウィグルとウィグル人の現状、中国の悪辣で非道な弾圧を訴えられていた。 我々日本人はいかにマスコミがウィグルの情報を日常的に正確に流さないからといっても、自分たちの中国への認識や国際感覚が欠如していることを恥じ入るばかりだった。ムカイダイスさんか、水島社長が言った言葉か忘れてしまったが、関岡氏は、ウィグルの本来の国家・東トルキスタンやウィグル人に対する「単なる同情や愛を超えた深い理解」を持っておられたという言葉は誠に相応しい見解だとしみじみ思った。


改めて、尊敬する真の国士、関岡英之氏のご冥福を心から祈ります。
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ノンフィクション作家 関岡英之氏の訃報に接して ( その1 ) [日記・雑感]

1月16日の夜、毎日の習慣でその時もYoutube を見ていたら、馴染みのある【 日本文化チャンネル桜】の中の番組、「Front Japan 桜 」の見出しーー『追悼、関岡英之氏』の字に釘付けになった。

「 えーっ! まさか! なんという事か!」
信じられない、信じたくない知らせだった。水島社長が沈痛な面持ちで、私の尊敬する論客の1人・関岡英之氏がなんと昨年中に亡くなっておられたと伝えている。驚きの後は、胸が詰まり、涙が次から次へと溢れてくる。一度も直にお会いしたことも、講演の場でお話を聞いたこともなく、ただネット動画で澱みなく理論整然と見解を述べられる氏の姿、国家の問題を取り上げ我々に警鐘を鳴らされる姿勢に新鮮な驚きや深い共感を覚えていただけなのに、何故こんなに悲しみと喪失感を味わうのだろうか?


思えば、ネット動画で氏の存在と考えを知り、その頃でもなかなか手に入らなかった氏の著作「なんじ自身のために泣け」をようやく市内の図書館で借り読んだことが今でも印象に残っている。アマゾンでレヴューを書いた日付を見ると、2014年2月11日と記されている。この本はその後の氏のキャリアの出発点と言える。関岡氏のそもそもの感性、観察眼、思想の発展を知る上で、外せない存在の本だと思う。


そう言えば、一方的にこちら側は好意を持っているだけで日常会ったこともない全くの他人の存在であるのに、その人の死の知らせに接してこんなに悲しみと無念さ、喪失感を味わうのは、今回で2回目だと気がついた。一度目は、若い人はもう知らない存在だろうが、格闘家のアンディ・フグが急性白血病で亡くなった時である。頑健な肉体を持つまだまだ若いスイス人の彼が、その病気のせいとは言え、あっけなく急死したとメディアが伝えた時、特に格闘技に興味のないおばさんが衝撃を受け、状況を伝えるニュースを聴きながらハラハラと涙が勝手に流れてくるのに、本人の私が内心驚いていた。

このお二人に共通するものはなんだろう?と思った。生のご本人を知らないで勝手な受け取り方かもしれないが、自分の大事なもの、仕事に対する使命感にも似た誠実さを心の奥底で深く感じ取ったからではないだろうか?アンディはまだ若く、関岡氏も58才というこれからの大いなる活躍が期待されていただけに、それを中途で絶たれた、こちら側からすればもぎ取られたような無念さ、悲しみを禁じ得ない。


アマゾンでサイトで見ると、氏の著作はかなり多く、実は、私は氏の本自体は前述の「なんじ自身のために泣け」以外は読んでいない。ただ、いつかこれは絶対に読もうと、「帝国陸軍ー見果てぬ『防共回廊』」は大事に購入していた。下世話な話だが、この2冊はアマゾンサイトでもかなりの高額で売りに出されている。「なんじ自身のために泣け」は思い出に残る本なのでなんとか出版社の努力で新書として発行してもらえないかと願っている。こういう声は、どこかのネットで見かけている。



このブログのタイトルに 、( その1 )と付けていますが、関岡氏の事はまた述べて見たいと思います。



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