お気楽にお読みください。
windy
カーク・ダグラスー往年のハリウッドスターの訃報に接して [芸能やエンターテイメント]
2月5日、ヤフーニュースで往年の米俳優、カーク・ダグラスの訃報を知った。
数年前に出たFacebookで、彼が長生きしているのは知っていたが、103才(1916年生まれ)だったというから文字通り長寿を全うされたのだと思う。
この知らせでまず頭に浮かんだのは、『 The Ragman's Son 』(邦題: 屑屋の息子) という本の題名であった。急いで部屋の中から探して見ると、カーク・ダグラスの自伝と言えるこの本は1988年に初版が出ていた。この本の紹介にも書いてあるように、映画スターの自伝はゴーストライターが書いているのがほとんどだが、この本は彼自身の言葉でじぶんの人生を語っていることで当時評判になった。こう私が言えるのも、1988年当時、購読していた(日本の)新聞の書評を読んで,何を思ったかわざわざ原書を取り寄せたからである。その頃は、今のようにインターネットの時代ではなく、無論アマゾン注文もなかった。原書であるため、手元に届くのにかなり待った薄い記憶がある。
*題名の屑屋の息子とは、カーク・ダグラスを指している。父親はロシア系ユダヤ人で、なんと日露戦争への徴兵を逃れるためにアメリカに移民として移り住んだのだった。一家はニューヨークの貧民街で暮らしていた。物語はそこから始まる。
本のことばかりになってしまったが、私にとってカーク・ダグラスはアメリカの超有名な俳優、活劇やアクション映画で活躍した有名な俳優という認識で、印象に残る映画としては、「スパルタクス」(1960年) 、「炎の人、ゴッホ」(1956年) 、「テレマークの要塞」それと、題名が思い出せない西部劇の映画である。これらは、やはり彼の代表作、ヒット作と言え、長きに渡ってハリウッドで活躍したので他にも有名な作品は数多い。
彼には前妻の子、後妻の子として2人ずつ計4名の息子がいて、1番日本人にも有名なのは、同じくハリウッド俳優のマイケル、ダグラスである。
私はこの『屑屋の息子』を実は全部は読んでいないが、印象的なエピソードはずいぶん前のことなのに今でも覚えている。自伝だから当たり前のことだろうが、彼は実に色々なエピソードを書いている。
年数を経てまだ覚えていたことは2つのエピソードです。
1つは子供時代(読み返すと彼が8才の頃)、家の近くで水の溜まった大きな深い溝に誤って落ち、溺れかけたことがあった。その時遊び仲間だったのだろう、ウォルフィーという子が泳げないにもかかわらずカークを引きずり上げてくれた。彼はそのことを決して忘れずに、長年に渡って彼にお金を送り続けたという話である。ウォルフィーはびっくりしていたとある。
もう1つは、いきなり飛んでしまうが、本の最後の最後にあるエピソードです。
本を書き上げた当時のカーク・ダグラスは既に40年もハリウッドに君臨し、街を歩いてもどこでも人から声を掛けられるのに慣れていた。ある日、とびきり美人でブロンドの背の高い若い女の子に声を掛けられた。彼女はジャカランダの花の色をした瞳で惚れ惚れしたように見上げてこう言った。「 まあ! マイケル・ダグラスのお父さんですね!」
原書には数多くの写真があり、それぞれにちょっとしたコメントや説明が添えられている。ピックアップされているものだけに、これらを読むだけで彼の人生のハイライトや人となりが分かるような気がします。
この本は彼の二番目の妻、最愛の妻アンに捧げられている。
原文によると、
『私自身よりイッサール(カーク・ダグラスの本名)のことを知る妻、アンに捧ぐ』とある。
上記の言葉からも分かるように、彼がアン・バイデンスという良妻に恵まれ、白寿を超えた長寿を全うしたことは彼が有名人だとか成功者だとかいう枠を超えて幸せで豊かな人生を歩んだ証の1つだと言えるでしょう。
遠く離れた日本にいるものの、彼のご冥福を祈ります。
数年前に出たFacebookで、彼が長生きしているのは知っていたが、103才(1916年生まれ)だったというから文字通り長寿を全うされたのだと思う。
この知らせでまず頭に浮かんだのは、『 The Ragman's Son 』(邦題: 屑屋の息子) という本の題名であった。急いで部屋の中から探して見ると、カーク・ダグラスの自伝と言えるこの本は1988年に初版が出ていた。この本の紹介にも書いてあるように、映画スターの自伝はゴーストライターが書いているのがほとんどだが、この本は彼自身の言葉でじぶんの人生を語っていることで当時評判になった。こう私が言えるのも、1988年当時、購読していた(日本の)新聞の書評を読んで,何を思ったかわざわざ原書を取り寄せたからである。その頃は、今のようにインターネットの時代ではなく、無論アマゾン注文もなかった。原書であるため、手元に届くのにかなり待った薄い記憶がある。
*題名の屑屋の息子とは、カーク・ダグラスを指している。父親はロシア系ユダヤ人で、なんと日露戦争への徴兵を逃れるためにアメリカに移民として移り住んだのだった。一家はニューヨークの貧民街で暮らしていた。物語はそこから始まる。
本のことばかりになってしまったが、私にとってカーク・ダグラスはアメリカの超有名な俳優、活劇やアクション映画で活躍した有名な俳優という認識で、印象に残る映画としては、「スパルタクス」(1960年) 、「炎の人、ゴッホ」(1956年) 、「テレマークの要塞」それと、題名が思い出せない西部劇の映画である。これらは、やはり彼の代表作、ヒット作と言え、長きに渡ってハリウッドで活躍したので他にも有名な作品は数多い。
彼には前妻の子、後妻の子として2人ずつ計4名の息子がいて、1番日本人にも有名なのは、同じくハリウッド俳優のマイケル、ダグラスである。
私はこの『屑屋の息子』を実は全部は読んでいないが、印象的なエピソードはずいぶん前のことなのに今でも覚えている。自伝だから当たり前のことだろうが、彼は実に色々なエピソードを書いている。
年数を経てまだ覚えていたことは2つのエピソードです。
1つは子供時代(読み返すと彼が8才の頃)、家の近くで水の溜まった大きな深い溝に誤って落ち、溺れかけたことがあった。その時遊び仲間だったのだろう、ウォルフィーという子が泳げないにもかかわらずカークを引きずり上げてくれた。彼はそのことを決して忘れずに、長年に渡って彼にお金を送り続けたという話である。ウォルフィーはびっくりしていたとある。
もう1つは、いきなり飛んでしまうが、本の最後の最後にあるエピソードです。
本を書き上げた当時のカーク・ダグラスは既に40年もハリウッドに君臨し、街を歩いてもどこでも人から声を掛けられるのに慣れていた。ある日、とびきり美人でブロンドの背の高い若い女の子に声を掛けられた。彼女はジャカランダの花の色をした瞳で惚れ惚れしたように見上げてこう言った。「 まあ! マイケル・ダグラスのお父さんですね!」
原書には数多くの写真があり、それぞれにちょっとしたコメントや説明が添えられている。ピックアップされているものだけに、これらを読むだけで彼の人生のハイライトや人となりが分かるような気がします。
この本は彼の二番目の妻、最愛の妻アンに捧げられている。
原文によると、
『私自身よりイッサール(カーク・ダグラスの本名)のことを知る妻、アンに捧ぐ』とある。
上記の言葉からも分かるように、彼がアン・バイデンスという良妻に恵まれ、白寿を超えた長寿を全うしたことは彼が有名人だとか成功者だとかいう枠を超えて幸せで豊かな人生を歩んだ証の1つだと言えるでしょう。
遠く離れた日本にいるものの、彼のご冥福を祈ります。
コメント 0