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申年を迎え、山極寿一氏のゴリラ学を考える [日記・雑感]

先月と言っても昨年の12月末、京都大学であった行事に出かけ、類人猿学、ゴリラの研究で有名な山極大学総長の25分という短い講演を聴き、とても印象深いものがありました。

今年の干支はたまたま申だという面白い巡り合わせも感じながら、その後京大のホームページ上の大学総長へのインタビュー動画やyoutube動画を2、3視聴し、心に留めたものをまとめてみました。

先に結論をいえば、

① 人間を知るために、ヒトに近いゴリラを知りたい、探検したい、アフリカに行きたいとの思いで
研究を始めた

② ゴリラは大きい割に(体重200kg以上)抑制力がある

③ 我々人間は、ゴリラのように負けないでいる事と勝ちたい事を混同している


④ 言葉の使用と人間の脳の関係
⇨人間の脳(新皮質)が進化した後に、言葉の使用が始まった

⑤ 資本主義も科学技術も限界に来ている現代は、個人の利益追求よりも「集団」(社会)に振り子を戻す べき

⑥ 大学の使命 ⇨ 学生が社会や世の中のためになることを得て出ていくこと


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① について

人間を追いかけていくだけでは人間は分からない、人間以外のものを知る必要がある。
最初は、人間の由来を知るためにサルを観察、研究した。しかしながらサルは人間より遠いので、
人間に近いゴリラを対象として選ぶ。子供の頃から探検心があり、アフリカに行きたいという気持ち もあり、合計で6年間アフリカで過ごすことになる。この話を聞きながら、26日に「実感するサイエンス」で講演されたELSIの高井 研 主任研究者の話を思い出しました。高井氏は、地球を知るために地球以外の星、宇宙を研究している、と言われました。科学者の研究姿勢、立ち位置とはこういうものなのかと感じました。


② について

ゴリラは図体がでかい割に抑制力がある、そのことに圧倒された。


③ について

人間は実は大きな集団で抑制力を持って生活している。しかし、現代の人間は、負けないでいる事と勝ちたい事を混同している。この2つのゴールは違う。勝つには相手を屈服させないといけない ⇨ 人間にとってこの世は生きづらい社会だ。これはニホンザルに近い社会となっている。ゴリラの集団(社会)は、力の強い者が抑制する。元々は人間もそういう社会を作ったはずだ。ところが、今の我々を見ると、先に(何かを)取る方が偉い、先に何かする方が偉い、相手に勝つことが偉い、こういったことは、ゴリラからすると間違っている。この話を進めて行くと、山極氏が言われるように、今の「いじめ問題」に繋がると思います。親も子も、社会全体が勝ちたい、勝たなければならないという強迫観念に囚われているのではと思えます。勝つ者がいるということは、同時に負ける者がいるということです。私たちは今の社会のピーンと張り詰めた緊張関係の中にいて、勝ち組、負け組のいずれに属していても本当は平安な気持ちにはなれないのが真実ではないでしょうか、そんなことを改めて考えさせられました。

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④ について

この事は今回初めて知ったことですが、
人間は言葉の使用を始めてから脳が大きくなっていったのではなく、150人ほどの集団を認識できるようになってずっと後で言葉が生まれた。それまではコトバでないコミュニケーションを使っていた。例えば、音楽的コミュニケーションである。音楽は意味ではなく、感情をそのまま伝える一番シンプルな手段である。赤ちゃんには子守唄を歌ってあげるのもその例である。
人間の脳が大きくなった訳は、脳に占める新皮質を調べてわかったことだが、人間の作る集団の大きさによるという。つまり、脳は社会的な脳として、集団の大きさに応じて進化してきた。


⑤ について

資本主義も科学技術も個人の利益、能力を追求してきたと同時に、時間をかけて人間関係を壊してきた。余談のようだが、家庭での「食べる」という行為は、単に栄養を摂るというだけでなく、家族と過ごす大切なコミュニケーションである。それなのに孤食という言葉も生まれるほど崩壊してきている。
この例に限らず、色々な面で、今や資本主義の限界にきている。いくら個人の能力を高めても、社会自体は豊かにならない。個人よりも社会の方に振り子を戻すべきである。本当の自己実現とは、社会の為、世の中の為になることをやることである。


⑥ について

大学は企業と違い利益を追求するところではない。大学と企業は全く別の組織である。18〜22才の頃の多感な若者に対し、可能性の保証をしてあげなくてはならない。高校とは、基礎の知識を教える所、大学は、多様な知識をどのように組み合わせて発想していくかが求められる所。実践、思考、発想を学んで、社会や世の中の為になる内容を持って出ていくことが大学の使命だと、山極氏ははっきり発言されています。同時に、大学の教員の役割も明確に述べておられ、高校の教員と特に違う点は、教える立場ではなく協力する立場であり、研究者でなくてはならないと言っておられるところです。


以上、大まかにまとめましたが、ゴリラ社会から現代の資本主義の限界を考察し、動物にはなく人間のみが有する「集団のために尽くす」という行為を、今の人びとや大学生に広げ求めていく科学的思考に地に足のついた姿勢を大いに感じました。動画もそして氏の書かれた本もお勧めです。


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