SSブログ

お気楽にお読みください。

windy

不登校は何故多くなったのか? [社会]

不登校は何故多くなったのか?



それは端的に言えば、今の学校で行われる戦後教育のシステムや内容が、今ここに生きる生徒たちの存在にそぐわないからだと思う。この状態は平成の時代に始まったことではなく、戦後に始まり半世紀、70数年もの時間をかけて徐々に教育現場に蓄積されて来たと私は思う。



十代未満を含めた学童、学生から見れば、戦後72年経った今も6・3・3制の内容の根本的見直しがないまま、義務教育を終えた後は 【ただ進学をするか否かだけ】 の流れになる教育現場では、どちらの道を選んでも心の奥底では何かしら『空虚感』や『やり切れなさ』を感じずにはいられないだろう。なぜなら自分にとっての本当の必要性や意義が感じられないからだ。自分にとって『学校に行く意味』を学校に見出せない。ここではその人個人の生活習慣や家庭状況による原因は除いて考えてみたい。



スポンサードリンク






いつの時代も近未来も、形態は変われど学校、学ぶ場所は必要だろう。社会的人間と言われる我々人間が基礎的学習(読み、書き、算盤=算数)を身につけるのは各自の人生にとって必須のものだから。これらは、言葉(言語)を操る人間が生きていく上で必須のものだから。


これらの実用的な学習能力とは異なる、学校現場でよく掲げる『生きる力』とは何だろう?
生徒に『生きる力』を教える、生徒は『生きる力』を身につけていく、という文言は、この国の文科省、教育現場ではカラ回りしているようだ。『生きる力』とは、私が思うに、基礎的で必須の学習能力とは違う、人間として、もっとはっきり言えば、日本人としての精神的支柱を有することだ。



第2次世界大戦(大東亜戦争)後、敗戦国日本は戦勝国アメリカのインスタント憲法をそのままおし戴いてしまった。かつて敗戦を味わったことのない日本は、その受容的謙虚さの国民性が災いしてアメリカすらも想像できぬほど、未だに戦勝国に都合のいい憲法を自前に改正するどころか一部修正することさえ国内外の反対派に遮られる始末である。


この憲法は、天皇国日本という日本の独自性をあやふやにし、戦争の放棄によって国家の存在と国民の生命を他国に丸投げしている。国民は国民で、かなりの人々が無条件の戦争の放棄イコール平和憲法と鵜呑みにして戦後70年以上にわたりたっぷりと洗脳されてきた。


スポンサードリンク






現憲法は、説明を省き端的に言えば、人間を肉体的側面から捉え(これは戦勝国アメリカのスリーS政策に正に適ったもの)、日本という伝統ある文化的国家の存在意義と本来の日本人の国民性、精神性を抜き去ったものである。



前述の『生きる力』とは、先ず、自前の憲法で日本の国家と日本国民の精神的支柱を明確に誇らしく謳うことで初めて指し示すことができるのではないか。人間は何処の国に生まれ落ちてもその国の成り立ち(歴史)と自分たちの国民性(精神性)を第一に掲げることは自然なことだと思う。国の生命とその国に生まれた人の命がつながりを得た時、政治に、社会に、教育現場に、浸透していき、その目に見えぬ精神レベルの影響は多大なものがあると、私は思う。



現在参議院議員である青山繁晴氏によれば、日本は未だ敗戦の原因の追求、分析にも手をつけていないという。アメリカ様の作った仮の憲法のもと、戦後の日本人は本来の自分たち国民の精神性を見失った
『さまよえる日本人』として生きてきた。戦争直後の日本は、あるところで読んだが、その当時の『世界でも最貧国の一つ』だった。日本は持ち前の勤勉さとたゆまぬ努力で経済一筋で頑張り続け復興を遂げたばかりか、世界第二の経済大国となった。そこまでは、ある意味、貧しい国家、国民にとって共通の大きな目標となり得た幸せだったかもしれないが、精神性を置き去りにしてきた結果の表れが、教育現場における虚無的な空間である。経済第一主義、人間の物質的肉体的欲求の追求には必ず破綻が来る。国家の理念、国民の精神性が語られない教育現場では、進学するか、否かの功利主義となり、その空気に馴染めない、あるいは拒否する感受性の強い生徒が不登校になっていくのはよく理解できる。


長々と述べてきたが、敗戦後、現憲法で精神性を失った『さまよえる日本人』が、経済第一主義を追求した結果の一つが、教育現場での『不登校』 が増加している原因だと思う。


スポンサードリンク







nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

「トルコの現在」•••••【Front Japan 桜】で語る有本 香氏 [社会]

1日遅れで、9月9日配信の【Front Japan 桜】を見た。
キャスターが、ジャーナリストの有本香さんとグラフィック•デザイナーの木坂 麻衣子さんだったからだ。お二人とも滞在を含め海外経験が豊富な人物です。

トピックの前半は「トルコの現在」で、3度旅行したことが有り関心を持つ国なので二人の掛け合いの話に聞き入った。番組が収録された前日に、有本さんはトルコから帰国したばかりで、直近のリアルなトルコ事情が聞けた。

大きなテロの多発、加えて今夏の反エルドアン大統領のクーデター勃発、とメディアからみるトルコは、今や危険で不安定な社会状況に置かれている。と思っていたら、有本さんによると、かえって警戒が万全で、ある意味安心して動き回れたらしい。これは、2008年夏、ロンドン市内でテロがあった直後にイギリスへ一人旅立った私の感覚と同じで、成る程と共感を覚えた。あの時旅行に行くことに周囲の人たちの中に「大丈夫ですか?」と声をかける人がいたが、共通して言えるのは、日常的に安全で安定した生活と職業を持つ人で、「何か面白いことないかい、子猫ちゃん?」という好奇心やチャレンジ精神はなさそうなタイプだった。有本さんも確か言っていたように、100パーセントの保証はないが、警察官が多いと旅行者は安心だと思う。最初に訪ねたロンドンでも他の市や町でも警察官の姿がよく目に入り、道を尋ねるにも便利でした。


スポンサードリンク





***観光立国、トルコ***

さすがにテロの後、ヨーロッパからの観光客は減り、今回は日本人には全然会わなかった程だが、夜間も人出が多く、それはトルコの周辺国、アラブ諸国の人々らしい。彼らは、同じイスラム教徒でも世俗主義が売りで(お酒もOK!)、多文化融合のトルコに遊びやショッピングにやって来ている。一方、ロシアからの観光客も多いらしい。歴史的に見ると、ロシアとトルコは戦争や軋轢があったが、観光面ではそうも言えないウィンウィンの状況なのだろう。ロシア人はお金は使わないが数は多いと有本さんは言う。そう言えば、というわけでもないが、7年ほど前にイスタンブールの宿に泊まった時も朝の食事で若いロシア人のアベックと連れの女性が話を交わしていたのを思い出す。

***トルコの経済、政治***

これまで長い間、トルコはEUの仲間入りを願ってきたが、イスラム教国という理由が最大だろうが弾かれてきた。しかし、今では観光立国という顔以外に産業国としても自国に自信が出て来た。それは観光地の旧市街でなく、ビジネス街のある新市街を見るとよくわかるそうです。このオフィス街にはあのトランプタワーも建っていると写真が紹介された。下の階はテナント、上階は住居用らしい。街には、アメリカンドラマに出てくるようなyoung rich やnew rich を見かけるそうだ。社会変化、ライフスタイルの変化はまず女子が変わることで感じることができると有本さんは言う。女性はファッションに敏感ですからね。

先頃、G20の会議が開催されたばかりだが、オバマ大統領が第一に会ったのは、トルコのエルドアン大統領だったとは知らなかった。アメリカのISIS(自称イスラム教国)に対する攻撃に協力するという承認を取り付けるためだった。エルドアンに対する一般市民の評価は、積極的に支持はしていないが、あのクーデターはもっと支持しない、という有本さんのレポートだが、ここでは、クーデターそのものへの客観的評価はふれられず、私としても理解不足、情報不足だった。テロやクーデターなどで被る観光収入へのダメージはあるはずだが、観光にもある程度保証がなされているとのこと。滞在中、アルメニア人たちのデモを目撃したことからも、少なくともデモの自由はあると分かる。タクシム広場で一般のクルド人に尋ねたところ、自分たちへの差別はないわけではないし、利権もトルコ人が取るが、自分たちはやはりトルコ人だという意識を持っている印象を持ったらしい。(まあ、100パーセント本音かどうかはわからないが、、、)

トルコは世界の中でも大変な親日国で、トルコ料理は世界三大料理の中の一つと言われるほど美味です。旅行先でたまたま知り合った人、声を掛け合った人たちのことを思い浮かべると、テロや周辺国との紛争がなくなるようにと祈るばかりです。


スポンサードリンク





コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

参議院議員選挙と東京都知事選挙 [社会]

ほんの1ヶ月前に行われた参議院議員選挙は、もう遥か前のことのように思われるが、それは繰り返される隣国中国の挑発的な行為、ヨーロッパやアジアで頻発するテロによって一般庶民の脳みそも揺さぶられているせいなのだろうか、この暑さによるのだろうか?

先月6月22日公示で7月10日に投開票された参議院議員選挙は、厳しい湿気と暑さの中で活動が行われた。選挙の結果、自民党は、242議席の中、121を獲得した。そのうち、比例代表では、独立総合研究所の青山繁晴氏が2位で早々と当選し481,890の票を獲得した。この票には私の1票が入っています。
青山氏曰く、お金(報酬)も得ず、地位も名誉もなく、全くのボランティアでやる事が、本当の政治家のあり方だという。このことをどこの場所でも一貫して主張されていた。選挙にあたっては、いかなる個人や団体からも一切一円も寄付金を受け付けないという徹底ぶりで、この寄付金に関してはそこまでしないといけないのかと多少疑問を感じましたが、ある一部を緩めると主張がぶれてくることになりかねないものだと思い直しました。青山氏のように純粋に自分の主義主張による有言実行の選挙を展開する人物を見るのは初めてのことで、しかも今回の選挙ではネットで選挙中の演説を追っかけのように全部チェックすることも可能でした。これはネット時代の良さだと思います。テレビやラジオ、新聞、雑誌といった、いわゆるメディアに解釈を任せた、コントロールされる選挙にはなりにくい選挙になっていくでしょう。もちろん、デマや扇動はつきものですが、ネット視聴者は切り張りの記事や写真ではなく、自分で検索していけるのですから候補者を選ぶ材料がぐっと増すことになります。


スポンサードリンク





青山氏は選挙を終わる頃でしたか、「選挙って意外とお金がかからないものですね」と感想を述べていました。候補者の青山氏、独立総合研究所から休暇(休職)中の女性社員1名、運転手、選挙カー1台(各地で臨時のサポーター、ボランティアらしき人たちは画面でも見えましたが)ぐらいで選挙活動を完遂されました。選挙の出だしで事故を起こされ、この先どうなるのかと案じられましたが、その日から首にサポーターを巻き声を枯らしてもなお人々に訴え続ける青山氏の闘いぶりにジーンと胸が高鳴りました。これほど気骨のある人、男性には多分生まれてから出会ったことはありません。

① 拉致被害者を取り返す
② 日本の農業を盛り返す
③ 日本国自前の資源、メタンハイグレードを実用化する

この究極の目的の為、青山氏はいよいよ国会の場で私たち国民をリードしていくことになる 、と青山氏に投票した人は熱い期待を持っています。


スポンサードリンク





さて現在進行形の東京都知事選挙では、今の時点で小池氏がリードして増田氏が追いかける形だという。鳥越氏は二人に比べると劣勢です。小池氏は、自民党内をわたり鳥的な動き方をしてかなり人気がなく積極的な協力を得られないのが欠点。増田氏はなんと青山氏がある点で評価されていて意外でしたが、岩手県知事時代に県の借金を2倍にした事実があるとFacebookや他のメディアで読みました。鳥越氏に対しては、最初からその能力、現在の思考力に疑問がありました。テレビで見た、聞いただけで、76才という高齢、健康状態をそのまま露呈したしどろもどろの滑舌に、都知事なぞと言う重責を担えないことは明らかです。どこかで誰かが言っていましたが、マスコミはマスコミ出身の鳥越氏の実態を無視しえこひいきしているのか!とあきれてしまいます。週刊文春の記事で攻撃されるために出馬したのかと後から言われかねませんね。
都知事選挙での最大の過ちは他の多数の候補者がほとんど取り上げられないことです。この偏りはおかしいです。

さて、選挙とそのけっかには目を離せません。


スポンサードリンク





コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

塩野七生氏語る「原爆投下への謝罪問題」 [社会]

戦後71年も経った今、現職の大統領オバマ氏による広島訪問とそのスピーチは、原爆投下に対する戦勝国アメリカと敗戦国日本の国民の意識の変化の表れが産んだ内容でした。

先ず、アメリカ側の変化から考えてみました。

その① アメリカの世論調査によると、今だに国民の半数近くは(2度の)原爆の使用は正しい決断だったと思っていますが、徐々に誤った決断だったと考える人が増えて来て、年代別にみると若い人にその傾向があるという流れがあります。

その② 現職のオバマ大統領は、7年前のプラハ演説が基となり、かのノーベル平和賞を受賞した人物であり、任期もあと僅かで心理的にも国内外的にもかなり広島訪問をしやすい背景を持っていた。

その③ これは私的な意見が色濃くなりますが、オバマ氏は何世代にもわたり差別を受けてきた初の黒人大統領であるが故に、アメリカのみならず世界に向けて平和や原爆忌避をより訴えやすく、単純に考えても国内外的に反発を受けにくいと暗黙のうちに彼自身も世の中の人々も了解していると思われる。

もちろんこれ以外に、日本政府による長年(数年?)にわたる交渉や要請が積み重ねられていたと思いますが。

敗戦間際に(ここは注目してほしい点です)原爆の被害を受けた日本国民の私としては、何故71年も時間が経ってからなのかと歯がゆい思いがしますが、取り敢えず謝罪無き訪問にせよ今後の日米関係にとってオバマ氏の言う「目覚め」の一歩になる点で評価します。


スポンサードリンク





さて、次は日本の立場ですが、今回の広島訪問に際して各界から、被爆者から、いろいろな方から「謝罪があるべきか否か」の様々な意見が出ました。個人的には、大統領は簡単には謝罪しないだろうし、言葉だけの綺麗事でこの悲惨な事実を表現されても納得できないという感情がありました。ただ広島訪問が記憶と歴史に残る事実は意味があると思っていました。

政府側は、水面下で謝罪は求めないということで再々要請していたとネットで読みました。マスコミの取材やネットの記事などを見ていると、前述の多数の意見、考えの内容が、謝罪なしの訪問で構わないという日本人的な?受け入れ方をほぼ支持するか容認しているのが感じられました。そこには政府側やマスコミの操作誘導も働いたのでしょう。


スポンサードリンク





このブログのタイトルは、塩野七生氏が語る「謝罪問題」です。これは、検索中に【朝日新聞デジタル】(5月25日6時49分付)の中で見つけたものです。日時で分かるように、広島訪問が近づく中で塩野氏が朝日新聞の編集委員の電話インタヴューに答えているものです。さすが古代ギリシャ、ローマから2000年以上にわたる歴史を扱う作家であるだけに客観的で現実的な見解を示され、非常に共感を覚えてここで要約して取り上げます。記事の引用や引用とほぼ同じ箇所はカッコをつけているのであしからず。


タイトル【 オバマ氏に謝罪求めぬ日本、塩野七生さんは「大変良い」】

オバマ氏の広島訪問は、ローマの自宅でテレビのテロップで流れるニュースを見て知り、久方ぶりの日本外交にとってのうれしいニュースだと思い、「特に日本側が『謝罪を求めない』といっているのが、大変に良い」その理由は、「謝罪を求めず、無言で静かに迎える方が、断じて品位の高さを強く印象付ける」からだ。広島訪問だけなら、野球でいえばヒットに過ぎないが、『謝罪を求めない』とした一事こそ、このヒットを我が日本の得点に結びつける鍵がある。ここには『逆転の思考』がある。これは悪賢い人しかできない思考だが、『トロイの木馬』の歴史上の例にあるように、善意のみで動くのでなく悪賢く立ち回った人物が結局は人間世界にとっても良い結果をもたらすことになる。

••••••••米国の現職の大統領が広島に訪問する意味を問われると

息子に広島を見せる目的で一緒に訪問した時の体験ーーイタリア人の息子は原爆ドーム、平和記念資料館を隅々まで見て、原爆死没者慰霊碑の前に立っている間もその後もずっと、一言も発しなかった。自分も同じように、被爆者たちは、70年後を生きる我々に通りいっぺんの謝罪よりも被爆地を自ら見て回り、感じたり考えてくれる事を望んでいるのではと思う。

•••••••••ヨーロッパ諸国から「物わかりの良すぎる国だ」と思われる心配はないか?

少し前に、アジアの二つの強国のトップが、ヨーロッパ諸国を歴訪して日本の悪事ばかりでなく、謝罪を要求する非難をしてまわったが、その結果は迎えた政府は聞き流し、マスコミもそのまま「スルー」だった。旧植民地帝国の集まりみたいな、旧植民地側からすれば悪事を働き続けた歴史を持つヨーロッパが謝罪などすべきだと思ってもいない。この二つの国は外交感覚が救い難く欠如している。この二国をみても、『謝罪を求めない』日本の対応に品位の差を感じ取るかもしれない。

••••••••••日本の対応はどうすれば良いか?

70年後とはいえ、原爆を投下した国の大統領が広島に来ると決めたのだから、当日はデモや集会などは一切やめて、静かに大人のやり方で迎えてほしい。日本人の国民性から言っても、無言で静かに振る舞う方が品格を示す事になる。

••••••••••最後に(塩野氏は、自分の方から新聞やマスコミにも注文をつけました)

オバマ大統領の広島訪問を伝える日の一面には、1枚だけを選んで載せる。『無言で立ち尽くす米国大統領オバマ』だけにします。頭を下げる姿の大統領は(もしそうしたとしても)絶対に載せない。それは、その大統領の振る舞いに釈然としないアメリカ人に『日本だって真珠湾を攻撃したではないか』などと文句を与える言質を与えないためです。記事も大統領の工程を記すだけ、余計な記事は排除、社説に至ってはお休みにしていただく。その他の写真の説明も極力抑え簡単にする。(インタヴューをしている記者に対して)新聞記者として、時には多言よりも無言の方が多くを語る、という人間世界の真実を思い起こしてほしいんですね。伝わる人には伝わります。


イタリアでも、原爆投下の日には、毎年、テレビは特別番組を放送します。心を痛めている人が少なくないという証しだからアメリカにも多いに違いない。今回の訪問は、自分たちの心の痛みは正当だったと思わせる効果があり、感受性の豊かな人たちも自然に広島や長崎に向かうようになる。(原爆死没者慰霊碑の碑文は、主語のない文として、誰がどういう過ちを繰り返さぬ、と言っているのかよく論争の的になっていますが、塩野氏曰く)日本人だけの『誓い』ではなく、世界人類の『誓い』に昇華していくことも夢ではなくなる。

以上、要約と言いながらつい長くなってしまいましたが、歴史を知る塩野氏の冷静で透徹した見方によれば、今回のオバマ大統領の広島訪問がわずか50分だったにせよ、日本はもちろん、世界の人々に広島や長崎の惨苦をもっと身近に伝える働きがあること、その先には、あの意味が曖昧な釈然としない碑文が、日本の被虐的な思考から世界人類の『誓い』へと転じていく可能性があると感じ取れ、ちょっとした意外さを覚えた次第です。

新作への執筆で、今はとても人に会える状態ではないと言われ、電話でインタヴューに応じられたという事ですが、これからも氏の作品や見解には注目していきたいと思っています。


スポンサードリンク






コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。